カテゴリー別アーカイブ: Q&A

瞑想はいらない!?

マインドフルネスで幸せになる!
マインドフルネスで幸せな社会を創る♪
心のトリセツ研究所の藤井です。

今日は質問をいただきました。

Q)
瞑想や座禅などしなくても日々の中でマインドフルにネガティブ思考を手放せたらそれでいいのではないですか?

A)
心のトリセツ研究所ではAとB二つの系統の練習を推奨しています。
A「今、ここ」でマインドフルネスになる
B偶然のマインドフルネス体験を活かす

202 - コピー

Aは座禅や瞑想、ヨガや作務など今からマインドフルになるぞと心に決めて行うマインドフルネスのトレーニングです。

一方Bは実生活の修羅場の中でネガティブ感情の渦に巻き込まれている時に、ふと我に返るという稀有のチャンスを活かすマインドフルネスです。私はマインドフルネス3秒ルールをお勧めしています。

質問の趣旨は実生活の中でネガティブ思考をマインドフルに手放すことが大切だから、Bの練習だけでいいのではないかということですね。

ところがAはとても大切なのです。普段、Aのトレーニング、すなわち瞑想や座禅などをしてマインドフルネスになれているからこそ、いざというときにマインドフルネスが立ち上がるのです。

怒っている瞬間に「はっ!」と我に返る。
恐れに巻き込まれて右往左往している瞬間に「ふと」我に返る。

その瞬間のマインドフルネスを得るためには、そしてそれがマインドフルネスという得難いチャンスであることに気付くためには普段の生活の中で座禅や瞑想などでマインドフルネスの体験をしておくことが不可欠なのです。

それは普段から素振りやシートノックをしているから試合でヒットを打てることや、普段の練習でサンドバックを叩いているからノックアウトパンチが打てるのと似ています。

cat zazen

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Q&A 睡眠とマインドフルネス

マインドフルネスで幸せになる!
マインドフルネスで幸せな社会を創る♪
心のトリセツ研究所の藤井です。

今日は睡眠とマインドフルネスの関係について質問をいただきました。

→完全なる覚醒=「今、ここ」を感じている=マインドフルネス
→はっきり覚醒しているがマインドレス
(「今、ここ」から注意がそれている)
→ぼんやり
→トランス状態(一部の誘導瞑想)
→酒などに酔っている
→浅い睡眠(レム睡眠を含む)
→深い睡眠

下に行くほど思考と行動は潜在意識に支配され、上のほうほど潜在意識を支配されずに自由自在に思考、行動できるわけです。
マインドフルネスの修行としてはマインドフルな時間をなるべく長くして、起きている間はすべてマインドフルネスであろうとすることです。その先に寝ている間もマインドフルネスであることができるようになるのかどうか?

もしあるとしたら明晰夢に近い状態で、夢を自在に操作できる状態でしょう。私にはまだ実感できないので明確にあるとはお答えできませんが、そうなったら楽しそうですね♪

cat zazen

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Q マインドフルネスとは精神集中ですか?

A マインドフルネスとは何かに集中していることではありません。何かに集中しているときに、自分が集中していることに気付いていることです。

何かに集中しているときは集中していると知り、集中できないなら集中できていないと気付いているならマインドフルネスです。

 

たとえば、料理をしているなら「自分は今、料理をしていると気付いている」ことです。

 

一見、あたりまえの事のようですが、上の空モードになると、考え事に気を取られて鍋が噴きこぼれたり、指を切ったりします。

 

 

 

たとえば、運転をしているなら「自分は今、運転をしていると気付いている」ことです。

 

一見、あたりまえの事のようですが、上の空モードになると、考え事に気を取られて気づいたら目的地についていたり、携帯に気を取られて事故を起こしたりします。

 

 

「自分は今、料理をしている」

「自分は今、運転をしている」

と言語化できるなら、

かなり高い確率でマインドフルネスです。

 

 

 

集中できていてもマインドフルネスではないということもあります。

 

一心不乱に勉強していて、ふと我に帰ると2時間もたっていたという状況を考えてみれば、集中はしていても集中して勉強していることには気付いていなかったのでマインドフルネスではなかったといえます。

 

 

 

集中は瞑想のとても大切な側面ですが、それだけではマインドフルネスではありません。

 

自分が何かに集中していることを知っている(何に集中している か言語化できる)かどうかがマインドフルネスの目安になります。

 

集中して瞑想していてもマインドフルネスではないということもあります。