慈しむ5

「慈しむ」というシリーズ 5

1~4回にかけて、私自身の幸せを念じていただきました。

なぜ、「私」からはじめたかと言うと、

幸せな人だけが人の幸せを願ってあげられるからです。

自分が幸せで無いのに、他人の幸せなんて願うゆとりありませんよね。

だからまずは私の幸せを願ったのです。

そして自分の幸せを願ったあとはその幸せを世界中に広げたいです。

自分が幸せになった今、自分の感じている幸せを世界中におすそ分けしたい♪

幸せな人は自然にそう思うのでしょう。

おっと、待っとくれ!

俺はまだ自分の幸せを実感していない!!

俺はまだそんなゆとりは無いぞ!!!

そうでしょう♪おっしゃるとおりです。

私自身もそうです。

だからこそ他人の幸せを願うのです。

んっ?理屈が通らないぞ!!

自分が幸せで無いと他人の幸せを願えないって言ったじゃないか?

ちと理屈っぽくなりますが、ついてきてくださいね。

自分が幸せだから人の幸せが願えるのです

だから、人の幸せを願える人は、自分の幸せが願える人です

だから、人の幸せを願うという行為が

結果的に、自分が幸せを実感する助けになるのです。

というわけで、今回のワークです

まずは無理なく幸せが願えるように、親しい人の幸せを願ってみましょう。

——————————————-

背筋を伸ばして座ります。
まずは目をつぶり、軽く1回深呼吸
あとは自然な呼吸に戻し、
心が落ち着いたら、まずはじぶんを慈しみましょう。

いつものように自分をイメージして

「私が幸せでありますように」
「私の悩み苦しみがなくなりますように」
「私の願いがかなえられますように」
「私に悟りの光が与えられますように」

「私が幸せでありますように」×3

ここまでは前回と一緒です。

そして
誰か一人、あなたが大好きな人、
幸せになってほしい人を考えてください。そして
目の前にその人がいるとイメージして、もしくは
その人をちょっと俯瞰したところから見ているようにイメージします
(ななめ45度ぐらいから見下ろすイメージ)
その際、その人が幸せそうにしている様子を思い描きます

そして、こう念じてください

「その人(名前)が幸せでありますように」
「その人(名前)の悩み苦しみがなくなりますように」
「その人(名前)の願いがかなえられますように」
「その人(名前)に悟りの光が与えられますように」

たとえばその人の名前が太郎さんなら
「太郎さんが幸せでありますように…」という要領です。

最後まで行きましたら、
さらに3回心を込めて念じます。

「その人(名前)が幸せでありますように」×3

そのまましばらく穏やかな呼吸を続けましょう。

—————————————-

おや?もしかしたら、

胸の辺りになにか暖かいものを感じませんか?

続きはまたの機会に♪

ちなみに、これは私のオリジナルワークではありません (^^ゞ
慈悲の瞑想というヴィッパッサナの瞑想です。

 

慈悲の瞑想全文
http://xn--u9j9h1ao4on18y.com/?p=111

 

 

一人でも多くの方に見ていただけるよう
このバナーをクリックしてくだされ (^^;)ゞ
  ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
にほんブログ村

慈しむ4

「慈しむ」のシリーズも4回目です。

肉体をもって三次元の世界を生きる私達は、

損得や善悪にとらわれるのは必然のこと。

そして幸せがその先にあるという思いにとらわれるのもまた必然。

というわけで、

1回目ではまず、自分の幸せを願って、

「私が幸せでありますように」と念じたました。

2回目ではもっと具体的に、悩み、苦しみから開放されたいと切望して

「私の悩み苦しみがなくなりますように」と念じました。

3回目では自己実現にむけて

「私の願いがかなえられますように」と念じました。

さて、悩み苦しみから開放されて、願いをかなえ、

功成り名遂げて自己実現を果たしたとしても、

それだけでは安心できません。

形あるものはいつか壊れ、得たものはいつか失うのが定めです。

健康だった体もいつかは老い、財産もいつ失われるかわかりません

そこに執着すれば「失う不安」にとらわれてしまいます。

すると、一時感じていた「幸せ」はもろくも崩れ去ります。

私は、人は基本的にネガティブ思考するものだと思っています

そして、それは肉体を持って三次元世界に生きる以上、

克服することはできないとも思っています。

問題は不必要な時に行き過ぎたネガティブ思考に気づき、

そしてそれを自由自在に手放せればよいのだと思っています。

不動心とは、何があっても平常心を失わないことではなく、

いったんは失われた平常心を、

すぐに、自由自在に取り戻せることだと思っています。

その鍵になるのがマインドフルネス!

「今、ここ」の自分を客観的かつリアルタイムに観察できると、

自分がとらわれているネガティブ思考との間にすき間ができて、

一歩引いた視点から冷静に観ることができるのです。

すると、ネガティブ思考を手放すチャンスがきます。

それは自分がネガティブ思考を手放しているのか、

はたまた、ネガティブ思考が勝手に落ちてながれてしまうのか…

もしかしたらそれが「悟り」なのかもしれません。

実は違うかもしれません。

私は悟っていないので、わからないんです。

だから毎日、マインドフルネス瞑想をしています。

悟りたくて瞑想しています。

悟りたいという欲がなければ悟りの門には入れず

悟りたいという欲を持ったままでは悟りの道をすすめない

そのジレンマをかかえつつ、

今日もマインドフルネス瞑想をしています。

というわけで、今回のワークです。

——————————————-

背筋を伸ばして座ります。
まずは目をつぶり、軽く1回深呼吸
あとは自然な呼吸に戻し、
心が落ち着いたら、
目の前に自分がいるとイメージして、もしくは
自分をちょっと俯瞰したところからイメージします
(ななめ45度ぐらいから見下ろすイメージ)
その際、自分がゆるぎなく安心し、ほほえんだ様子を思い描きます。

そして、自分に向かってこう語りかけてください

「私が幸せでありますように」
「私の悩み苦しみがなくなりますように」
「私の願いがかなえられますように」
「私に悟りの光が与えられますように」

最後に3回繰り返します
「私が幸せでありますように」

そのまましばらく穏やかな呼吸を続けましょう。

—————————————-

続きはまたの機会に♪

えっ?悟りを開いたら終わりじゃないかって?

もうちょっと先があるんですよ。

ちなみに、これは私のオリジナルワークではありません (^^ゞ
慈悲の瞑想というヴィッパッサナの瞑想です。

 

慈悲の瞑想全文
http://xn--u9j9h1ao4on18y.com/?p=111

 

 

一人でも多くの方に見ていただけるよう
このバナーをクリックしてくだされ (^^;)ゞ
  ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
にほんブログ村

慈しむ3

「慈しむ」のシリーズもすでに3回目です。

1回目では漠然と自分の幸せを願って、

「私が幸せでありますように」と念じました。

2回目ではもっと具体的に、悩み、苦しみから開放されたいと切望して

「私の悩み苦しみがなくなりますように」と念じました。

前回、話題に出しましたマズローの欲求5段階説!

基本的な「生理的欲求」や「安全欲求」が満たされてから

「社会的欲求」「尊厳欲求」「自己実現欲求」へとすすむといいます。

となると当面の悩み苦しみがなくなり、のどもと過ぎれば

次の欲求は「社会的欲求」「尊厳欲求」「自己実現欲求」へと向います。

あんな願いこんな願いも

「生理的欲求」や「安全欲求」が確保されたからこそ出てくるものです。

だから、

「社会的欲求」(好ましい集団に属し、仲間を作る)

「尊厳欲求」(認められ、、肯定され、尊重されたい)

「自己実現欲求」(自己を実現し、創造的に生きる!)

などの願いが出てくるのですね。

最初の目標は、「幸せになる」ことでした。

そのためには願望を目標に立てて突き進むぞ!

そして目標を達成して幸せになるぞ♪

というわけで、今回のワークです。

——————————————-

背筋を伸ばして座ります。
まずは目をつぶり、軽く1回深呼吸
あとは自然な呼吸に戻し、
心が落ち着いたら、
目の前に自分がいるとイメージして、もしくは
自分をちょっと俯瞰したところからイメージします
(ななめ45度ぐらいから見下ろすイメージ)
その際、目標に向って力強く突き進んでいる様子や
目標を達成して誇らしげに大喜びしている様子を思い描きます。

そして、自分に向かってこう語りかけてください

「私が幸せでありますように」
「私の悩み苦しみがなくなりますように」
「私の願いがかなえられますように」

そのまましばらく穏やかな呼吸を続けましょう。

—————————————-

続きはまたの機会に♪

ちなみに、これは私のオリジナルワークではありません (^^ゞ
慈悲の瞑想というヴィッパッサナの瞑想です。

 

慈悲の瞑想全文
http://xn--u9j9h1ao4on18y.com/?p=111

 

 

一人でも多くの方に見ていただけるよう
このバナーをクリックしてくだされ (^^;)ゞ
  ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
にほんブログ村