慈悲の瞑想はマインドフルネスではありません。
思考内容にフォーカスして瞑想する集中瞑想のひとつです。
ただ、心を慈悲モードに誘導することで
結果的にマインドフルネス瞑想がやりやすくなります。
そこで原始仏教やマインドフルネスの実践者は
マインドフルネス瞑想の前に
慈悲の瞑想を唱えることが多いのです。
<慈悲の瞑想 原文>
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
<唱え方>
言葉に出すだけで思考→感情→潜在意識への影響がありますので
意味を考えなくても口に出すだけでも一定の効果があります
ただ、意味を考え、真剣に唱えたほうが効果は高いです。
<質問>
アファメーションのルール2によると願望形はいけないのではありませんか?
アファメーションとは肯定的な自己宣言です。願いがすでにかなったとイメージして、ワクワクしながら、すでにかなったと宣言します。
「幸せでありますように」と願うのは今は幸せではないからです。ねがうことによって自分は幸せではないという暗示になります。
だから「幸せでありますように」と願うのではなく。「私は幸せだ!」と宣言するほうがアファメーションとしては優れています。
しかし慈悲の瞑想は、ともすれば自分を責めがちな自分から、自分の幸せを願える自分へとチェンジするという効果があります。
さらに他人(特に敵!)の幸せを願える愛情深い自分であるということを自覚できます。つまり自己肯定感を高めるという効果があるのです。
もしも「私が幸せでありますように」と唱えるときに「今は幸せじゃないんだよな」という思考が流れるなら、どうかマインドフルに気付いていてください。気付いたネガティブ思考は手放せます。
もう一つの方法として「私は幸せです」と語尾を変えてしまう方法もあります。ハッピーリズメーションの形式で創りました。