Q悟りの光とは何ですか
(マインドフルネスの光とはなんですか)
講義やセミナーで「マインドフルネスの光」という表現をされます。また、慈悲の瞑想の中にも「悟りの光」という言葉が使われています。この二つは同じものですか?
A
悟りとはとらわれなく、あるがままに世界を観ることです。これを説明するには、逆にとらわれつつ、あるがままでない世界を見ることから説明したほうが分かりやすいでしょう。
たとえば、幼いころから完ぺきを求められてきた人は、誰かに嫌われることを恐れ、人目を気にしたり断れなかったりする傾向があります。
このような人が誰かに挨拶をした時、たまたま返事をもらえなかったりすると「自分は嫌われた!もうだめだ」と思い込みます。メールの返事がなかなか来ないと「嫌われたのかも…」と不安になります。
あるがままの現実は「挨拶に返事がない」「メールの返信がまだ来ない」というだけなのですが、そこに潜在意識下の信念・または恐れが影響して「嫌われる・嫌われた」という意味付けをしてしまいます。
つまり私たちはあるがままの世界を知覚しているのではなく、主観的な世界を体験しているのです。それはあたかも潜在意識というフィルターを通して曇った世界を見ているようなものです。
マインドフルネスとは「今、ここ」の現実をリアルタイムかつ客観的に観ることです。「今、ここ」の現実とは「挨拶に返事がない」「メールの返信がまだ来ない」ということです。
「はっ!私は今、嫌われてしまったに違いないと思い込んでいた!!」その気づきがマインドフルネスです。
潜在意識のフィルターを通さずに「今、ここ」の現実をあるがままに、曇りなく観るにはマインドフルネスが必要です。私はそれをマインドフルネスの光と呼んでいます。
ちなみに、悟りの光とは慈悲の瞑想の中の言葉です。悟りとは現実をあるがまま観ることです。つまり、マインドフルネスのことです。