マインドフルネスとは何かに集中していることですか?

Q)マインドフルネスとは何か(たとえば料理や瞑想)に集中していることですか?

A)マインドフルネスとは何かに集中していることではありません。何かに集中しているときに、自分が集中していることに気付いていることです。

何かに集中しているときは集中していると知り、集中できないなら集中できていないと気付いているならマインドフルネスです。

たとえば、料理をしているなら「自分は今、料理をしていると気付いている」ことです。一見、あたりまえの事のようですが、上の空モードになると、考え事に気を取られて鍋が噴きこぼれたり、指を切ったりします。

たとえば、運転をしているなら「自分は今、運転をしていると気付いている」ことです。一見、あたりまえの事のようですが、上の空モードになると、考え事に気を取られて気づいたら目的地についていたり、携帯に気を取られて事故を起こしたりします。

「自分は今、料理をしている」「自分は今、運転をしている」と言語化できるなら、かなり高い確率でマインドフルネスです。

集中できていてもマインドフルネスではないということもあります。一心不乱に勉強していて、ふと我に帰ると2時間もたっていたという状況を考えてみれば、集中はしていても集中して勉強していることには気付いていなかったのでマインドフルネスではなかったといえます。

集中は瞑想のとても大切な側面ですが、それだけではマインドフルネスではありません。自分が何かに集中していることを知っている(何に集中しているか言語化できる)かどうかがマインドフルネスの目安になります。集中して瞑想していてもマインドフルネスではないということもあります。
cat zazen

Q)マインドフルネスで怒りが収まらない時

Q)自分が怒っているとわかっているのに怒りが収まらないことがあります。「私は今、怒ってた」と言っても怒りがおさまらない時はどうしたらいいですか?
怒り 猫
A)まず最初に、マインドフルネスは怒りを手放すためのものではありません。あるがままの現実を理解することです。理解した結果、怒りを手放すという決意をすることもあれば、マインドフルネスの結果として勝手に怒りが静まることもあります。そして、いったんマインドフルになったにもかかわらず、怒りがおさまらないのならば、それもまたあるがままの現実であり、怒りがおさまらないという現実自体もまた、マインドフルに理解する対象なのです。だから、この時点での気づきと理解は「マインドフルになったけどわたしは怒りがおさまらなかった」ということになります。とはいえ、せっかくのご質問ですからさらに分析的に考えてみます。

マインドフルネスでも怒りが収まらない時は次の可能性を考えてみましょう。
1)怒りが一次感情ではないとき
2)怒りを手放したくないとき
3)正当な怒りだと思っているとき
4)怒りの快感にはまってしまう
5)自己嫌悪に進んでいる
6)客観視が不十分なとき

1)怒りが一次感情ではないとき
運転中に割り込まれていらいらした!そこで「自分は今、イライラしていた」と言ってみたが怒りが収まらない。という例で考えてみます。
割り込まれた→怒りと反応が進む前に、別の一次感情が入っている可能性があります。
たとえば、
<例1>
割り込まれた
→あぶない!(恐怖=一次感情)
→危ないじゃないか!どこ見てるんだ!!(怒り=2次感情)

<例2>
割り込まれた
→わたしはいつも踏みつけにされるんだ…(かなしみ=一次感情)
→もう許さないんだから!(怒り=2次感情)

こんな時は怒りの前の段階の恐怖や悲しみに焦点をあててみると上手くいくことがあります。私はやや大げさに(時にコミカルに)「おお!びっくりした!こわいじゃあないか!!」と言ってみることにしています。意外なほど怒りは立ち消えになります。慣れてくると割り込まれた瞬間に恐怖の段階でマインドフルネスとなり「おおこわっ!」と言って終わりにできます。

2)怒りを手放したくないとき
話をさえぎられて、言いたいことを最後までいえずに怒りを感じた。という例で考えてみます。自己肯定感が強い人ならば「最後まで言わせて下さいね」とアサーティブに言えるかもしれませんが、自己肯定感が弱かったり立場が弱かったりして言いたいことが言えず、不満がたまっていきます。たまった不満はある時、「怒り」という感情の力を借りて噴出します。「まって!最後まで言わせて頂戴!!」このような時には、一時期マインドフルネスになったとしても怒りを手放したくないかもしれません。自己を主張するためには怒りのエネルギーが必要だからです。このような場合はマインドフルネスも大切ですが、自己肯定感を強化する取り組みもまた必要です。自己肯定感のくわしい強化法は別の記事に譲りますが、ひとつのヒントとして、小さなところから自己主張していくというのはどうでしょう。不満を貯めないというよりも、小さな不満を言うことで「自分の意見は聴いてもらえるんだ」という体験を重ねることが自己肯定感を強めるのです。

3)正当な怒りだと思っているとき
自分のために怒ることがよろしくないというビリーフ(思い込み)がある人は、世のため他人のためになら怒ることができます。それは崇高な正義だと思えるからです。マインドフルネスになったときに、どのレベルまで洞察が深まるか?「自分は怒っていた」と知るのか「自分のことではなく正義のことだから怒れたのだ」と気づくのかによっても怒りを手放せるかどうかが左右されそうです。

また、前項のように自己肯定感が弱い人も、自分のためだと怒れないが人のためなら怒れるという場合があります。レストランやお店など、自分が客として強い立場にいることができる時や部下など自分が優位な立場にいるときだけ態度が大きくなったり言いたいことが言えるという人(パワハラ、モラハラ)はこのタイプの可能性があります。この場合はやはりマインドフルネス以外にも、行動療法的に「自分より強い人に勇気を出して少しずつ意見を言う」といった取り組みが有効です。

4)怒りの快感にはまってしまう
怒りは二次感情、一次感情は悲しみや恐れのことが多いのですが、悲しみや恐れを感じている時、自分がちっぽけでつまらない存在に思えてしまいます。無力で現実を切り開くことができないように感じます。それに比べて怒りは強力です。怒っている人の前では恐怖を感じ、萎縮する人もいるでしょう。それはとても快感です。快感あるところに依存アリです。ただしその快感は一時的なものであり、現実の人間関係を破壊してしまうという副作用があります。だから怒りのあとは自己嫌悪に陥るのです。「もう二度と怒りをぶつけないようにしよう!」そう尊い決意をするのです。

怒り(のもたらす快感)にマインドフルネスの光がきちんと当たったときにどうするか?そしてその選択肢はマインドフルネスでなければ手にすることはできません。はたしてどのような選択肢が出てくるのでしょう?

5)怒りから自己嫌悪に進んでいる
もう二度と怒らないぞ!と決意しても、気づいたらまた怒っていた!「ホント私ってダメね」と感じている時のリアルタイムの感情は怒りではなく自己嫌悪です。怒りと感情に名前を付けてもうまくいかないでしょう。

6)別の怒りや失望感へ
マインドフルネスで怒りが鎮まるはずなのに全然おさまらない時に。インチキだと別の怒りが出たり、「がっかりした!」と失望したりしているとしたら、リアルタイムの感情は別の怒り、失望感などに移ってしまっています。そこにフォーカスして観ましょう。

7)客観視が不十分なとき
最後は単純な例です。「怒り、怒り、怒り」「私は怒っていた」「私は怒っていた」「私は怒っていた」と言うときに、すでに上の空モードに戻っていた可能性があります。気づきを言語化(3秒ルール:サティ)してもおさまらない時は同じ言葉を連呼するとうわの空モードに戻る傾向があります。その時は別の気づきが必要です。たとえば、「怒り」でだめなら「イラダチ」と変えてみましょう。またもっと踏み込んでその時に何を感じているか内面を探ってみることも有効です。すると「許してやるものか!」と思っている自分に気づき、客観的な対象化が進むことがあります。
怒り 猫 - コピー2

Q)呼吸法を早く終えたいとあせる

Q)呼吸法をするときに慌ててしまって早く終えようとする節があります。
落ち着く為にやるというのもありですか?

A)マインドフルネスの基本は「今ここの現実にリアルタイムかつ客観的に気付いていること」です。
「あわててしまって早く終えたい」という欲がでたならば、その欲に気づいておけばそれがマインドフルネスです。
「ゆっくりやらなきゃ!」という想念がでたら、その想念にも気づいておけばそれがマインドフルネスです。
「ゆっくりやらなきゃ!」という想念のままうわの空モードでゆっくり呼吸をして落ち着いたとしてもマインドフルネスの訓練にはなりません。また、ことさらゆっくりと、いい呼吸法をする必要はありません。かざらない、あるがままの自分にまずは気づいてください。そこまでがマインドフルネスです。

さて、気づいたらどうするか?
その先は実はどうでもいいのです。
まだ気分が落ち着いていなければ、落ち着くためにゆっくり呼吸してもよいし、欲望がまだ残っていたら早い呼吸をしてもよいでしょう。大切なのはそのどちらにしてもマインドフルネスであり続けることです。マインドフルネスであればどちらも糧になります。うわの空モードになってしまったらどっちにしたって「今、ここ」のおいしいところを逃したということです。

ちなみに、心のトリセツ流ではそこで気づいたことを喜ぶように勧めています。マインドフルネスが来たこと、気づいていることを再確認してマインドフルネスを強化、固定するのが狙いです。

Q)呼吸法をしていると感じることを忘れてしまう

Q)呼吸法をしていると、「膨らんだ、へこんだ」と心の中で言うことに意識がいってしまうのか、 感じることを忘れてしまうことがよくあります…。

A)そうなんです!膨らんだ、へこんだ、カウントがともするとたんなる号令になってしまいます。するとカウントがわからなくなります。わからなくなったら今を感じることに意識を向けるようにしてくださいね。

Q)呼吸法をすると嫌になるくらい雑念が入ってきます

呼吸法をすると嫌になるくらい雑念が入ってきます。

マインドフルネスの練習で呼吸法などのエクササイズをすると、今までうわの空モードでで気づいていなかった雑念に気づくようになります。これまでは気づかなかった雑念に気づくようになっただけであり、雑念が増えているのではありません。むしろ良い傾向であり、マインドフルネスの練習がいい方向に来ています。

私は起きている時間はほとんどうわのそらモードであり、マインドフルネスでいられるのはせいぜい10分ぐらいだと思っています。うわのそらモードでは多くの場合ネガティブ思考しがちです。気づいてみたらネガティブだらけでマインドフルネスをはじめて落ち込む人もいます。そこで心のトリセツ流では雑念に気づいたらあえて「喜べ」と言っています。雑念に気づいたこと、マインドフルネスになったことを喜ぶのです。

Q)マインドフルネス呼吸法をすると息が苦しくなる

Q)マインドフルネス呼吸法をすると息が苦しくなるのです

A)考えられる原因は二つ あります
1)普段の呼吸をしていない
2)普段から苦しいのに気づいていない

1)呼吸法をしていないときの呼吸を観察してみてください。そして呼吸法をしているときの呼吸と比べてみてください。

呼吸を意識するとふだんよりも小さめで穏やかな呼吸を作ってしまう人がいるようです。あるがままの普段の呼吸で呼吸法を試してください。私は普段、腹式呼吸をしているとばかり思っていました。しかし、意識していないとけっこう大き目の胸式呼吸していることに気づきました。

2)呼吸器や気道に病気がある場合。たとえば睡眠時無呼吸、太った人、気道が圧迫されている人、大酒のみ、愛煙家など。実は普段から少し息苦しいけどそれに気づいていない(上の空モード!)のに、呼吸に注目することでいきなり気づいてしまった!という可能性があります。それは身体的な問題なので医療機関でご相談ください。

どうしても呼吸法ができないときは呼吸法にこだわらず、日常生活の中でマインドフルネスに心がけるようにしてください。たとえば掃除や洗濯、仕事や食事などをしているときにマインドフルネスであり続けてください。