Q)マインドフルネスで怒りが収まらない時

Q)自分が怒っているとわかっているのに怒りが収まらないことがあります。「私は今、怒ってた」と言っても怒りがおさまらない時はどうしたらいいですか?
怒り 猫
A)まず最初に、マインドフルネスは怒りを手放すためのものではありません。あるがままの現実を理解することです。理解した結果、怒りを手放すという決意をすることもあれば、マインドフルネスの結果として勝手に怒りが静まることもあります。そして、いったんマインドフルになったにもかかわらず、怒りがおさまらないのならば、それもまたあるがままの現実であり、怒りがおさまらないという現実自体もまた、マインドフルに理解する対象なのです。だから、この時点での気づきと理解は「マインドフルになったけどわたしは怒りがおさまらなかった」ということになります。とはいえ、せっかくのご質問ですからさらに分析的に考えてみます。

マインドフルネスでも怒りが収まらない時は次の可能性を考えてみましょう。
1)怒りが一次感情ではないとき
2)怒りを手放したくないとき
3)正当な怒りだと思っているとき
4)怒りの快感にはまってしまう
5)自己嫌悪に進んでいる
6)客観視が不十分なとき

1)怒りが一次感情ではないとき
運転中に割り込まれていらいらした!そこで「自分は今、イライラしていた」と言ってみたが怒りが収まらない。という例で考えてみます。
割り込まれた→怒りと反応が進む前に、別の一次感情が入っている可能性があります。
たとえば、
<例1>
割り込まれた
→あぶない!(恐怖=一次感情)
→危ないじゃないか!どこ見てるんだ!!(怒り=2次感情)

<例2>
割り込まれた
→わたしはいつも踏みつけにされるんだ…(かなしみ=一次感情)
→もう許さないんだから!(怒り=2次感情)

こんな時は怒りの前の段階の恐怖や悲しみに焦点をあててみると上手くいくことがあります。私はやや大げさに(時にコミカルに)「おお!びっくりした!こわいじゃあないか!!」と言ってみることにしています。意外なほど怒りは立ち消えになります。慣れてくると割り込まれた瞬間に恐怖の段階でマインドフルネスとなり「おおこわっ!」と言って終わりにできます。

2)怒りを手放したくないとき
話をさえぎられて、言いたいことを最後までいえずに怒りを感じた。という例で考えてみます。自己肯定感が強い人ならば「最後まで言わせて下さいね」とアサーティブに言えるかもしれませんが、自己肯定感が弱かったり立場が弱かったりして言いたいことが言えず、不満がたまっていきます。たまった不満はある時、「怒り」という感情の力を借りて噴出します。「まって!最後まで言わせて頂戴!!」このような時には、一時期マインドフルネスになったとしても怒りを手放したくないかもしれません。自己を主張するためには怒りのエネルギーが必要だからです。このような場合はマインドフルネスも大切ですが、自己肯定感を強化する取り組みもまた必要です。自己肯定感のくわしい強化法は別の記事に譲りますが、ひとつのヒントとして、小さなところから自己主張していくというのはどうでしょう。不満を貯めないというよりも、小さな不満を言うことで「自分の意見は聴いてもらえるんだ」という体験を重ねることが自己肯定感を強めるのです。

3)正当な怒りだと思っているとき
自分のために怒ることがよろしくないというビリーフ(思い込み)がある人は、世のため他人のためになら怒ることができます。それは崇高な正義だと思えるからです。マインドフルネスになったときに、どのレベルまで洞察が深まるか?「自分は怒っていた」と知るのか「自分のことではなく正義のことだから怒れたのだ」と気づくのかによっても怒りを手放せるかどうかが左右されそうです。

また、前項のように自己肯定感が弱い人も、自分のためだと怒れないが人のためなら怒れるという場合があります。レストランやお店など、自分が客として強い立場にいることができる時や部下など自分が優位な立場にいるときだけ態度が大きくなったり言いたいことが言えるという人(パワハラ、モラハラ)はこのタイプの可能性があります。この場合はやはりマインドフルネス以外にも、行動療法的に「自分より強い人に勇気を出して少しずつ意見を言う」といった取り組みが有効です。

4)怒りの快感にはまってしまう
怒りは二次感情、一次感情は悲しみや恐れのことが多いのですが、悲しみや恐れを感じている時、自分がちっぽけでつまらない存在に思えてしまいます。無力で現実を切り開くことができないように感じます。それに比べて怒りは強力です。怒っている人の前では恐怖を感じ、萎縮する人もいるでしょう。それはとても快感です。快感あるところに依存アリです。ただしその快感は一時的なものであり、現実の人間関係を破壊してしまうという副作用があります。だから怒りのあとは自己嫌悪に陥るのです。「もう二度と怒りをぶつけないようにしよう!」そう尊い決意をするのです。

怒り(のもたらす快感)にマインドフルネスの光がきちんと当たったときにどうするか?そしてその選択肢はマインドフルネスでなければ手にすることはできません。はたしてどのような選択肢が出てくるのでしょう?

5)怒りから自己嫌悪に進んでいる
もう二度と怒らないぞ!と決意しても、気づいたらまた怒っていた!「ホント私ってダメね」と感じている時のリアルタイムの感情は怒りではなく自己嫌悪です。怒りと感情に名前を付けてもうまくいかないでしょう。

6)別の怒りや失望感へ
マインドフルネスで怒りが鎮まるはずなのに全然おさまらない時に。インチキだと別の怒りが出たり、「がっかりした!」と失望したりしているとしたら、リアルタイムの感情は別の怒り、失望感などに移ってしまっています。そこにフォーカスして観ましょう。

7)客観視が不十分なとき
最後は単純な例です。「怒り、怒り、怒り」「私は怒っていた」「私は怒っていた」「私は怒っていた」と言うときに、すでに上の空モードに戻っていた可能性があります。気づきを言語化(3秒ルール:サティ)してもおさまらない時は同じ言葉を連呼するとうわの空モードに戻る傾向があります。その時は別の気づきが必要です。たとえば、「怒り」でだめなら「イラダチ」と変えてみましょう。またもっと踏み込んでその時に何を感じているか内面を探ってみることも有効です。すると「許してやるものか!」と思っている自分に気づき、客観的な対象化が進むことがあります。
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