自分で決める

「早く宿題やっちゃいなさい!」

「もう!今やろうと思ったのに!」

このやりとり、みんな一度は経験していることでしょう。

みんな自由がすきなんです。

自分の意志で決めたいんです。

だから人から指図されるととたんに反発してしまいます。それは自動的な反応です。

それがたとえ正しいことでも、
やったほうが自分のためになることでも。

ここは反発せずに素直になれればいいんですが、反発心は自動思考だからなかったことにするのは難しいですね。どうしたらいいか?

ひとつはマインドフルにその反発心に気付き、観察しておくんです。

マインドフルに「今、ここ」のあるがままの感情を観察していると、やがてマインドフルネスの光の下浄化されて反発心が薄れてきます。

もうひとつはもっと積極的にポジティブに考えてみる方法ですね。

自分のためにアドバイスしてくれたんだ…

ちょうどいいタイミングだったんだ…

これもきっと何かの役に立つんだ…

といった具合です。

私がお勧めしているのは「自分で決めたことにする」方法です。

指図されたからやる気を失ったんです。だから、自分でやると決めたことにすればいいんです。

ん?わかりにくいですか?

指図されたのは確かにしゃくです。しかしそれは自分で決めたんじゃなく指図されたことに従わざるを得ないからですね。だから

「自分でやると決めた!」

そう宣言するのです。そうすれば指図されたこととは無関係で自分で決めたことになります。

すると不思議に反発する心がすこし小さくなったような気になります。

さらに、考えてみたらこのタイミングで指摘してくれたのはありがたかったという気持ちまででてくるかも♪

試してみてください。

 

ところで、それってホントにあなたがしなくちゃダメなのでしょうか?

つづく

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感じている自分に気付け

「考えるな!感じろ!」  ブルース・リー

「感じている自分にも気付け♪」 藤井英雄

かつてブルース先生はこうおっしゃいました。

「考えるな!感じろ!」
(Don’t think! Feel!!)

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けだし名言ですね♪
「雑念を捨てようとすればするほど、かえって雑念にとらわれます。

それよりも「今、ここ」の現実をリアルに感じたほうが心は落ち着きます。「今、ここ」を感じるマインドフルネスは禅や瞑想の極意です。

しかしそれだけではちと足りない気がします。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

続きはこちら♪

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感じているうちに集中してきて、感じることに没頭してしまうことがあるからです。

対象と一つになるまで集中するのが瞑想の極意です。しかし、このとき、集中のあまり、自分が集中しているという気付きを失ってしまうなら?

それは集中のトレーニングにはなるけれど、マインドフルネスのエクササイズにはなりません。

有意義なことに集中しているうちはいいですが、気付きをうしなってネガティブな思考に集中してしまったら?

マインドフルネスとは「今、ここ」の気付きです。集中していてもリラックスしていても、「今、ここ」での自分に気付いていることが大切です。

ゆえに私はこういいます。
「考えるな!感じろ!そして感じている自分にも気付け♪」

ちょっと長いですね。もっと簡潔な表現はないかな?

「感じよ。そして感じている自分に気付け」

ううむ!

もうちょっといい表現はないかな?
(^^;)ゞ

 

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ききながすことの危険性

子供のころ、朝礼での校長先生の話はとても退屈でした。いつしか聞き流すことを覚え、別のことを考えるようになりました。

ときには楽しいこと…

そしてときには心配事を…

そうして私はマインドフルネスを失ってきたように思います。

「今、ここ」での校長先生の話から遊離し、うわの空になった心は過去の後悔、未来の不安、現実には手に入れることのできない不満、自己嫌悪、他人への恨みなどへただよっていき、心をユウウツに導きます。

人前で話をする人は面白い話をする責任があるっていう結論ではありません。

(まあ、そうであった方が望ましいんですが)

「今、ここ」話をしている人を理解しようと耳を傾けることがマインドフルネスを取り戻すためのリハビリになるのでいっしょに頑張りましょうという話でした。
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