慈しむ4

「慈しむ」のシリーズも4回目です。

肉体をもって三次元の世界を生きる私達は、

損得や善悪にとらわれるのは必然のこと。

そして幸せがその先にあるという思いにとらわれるのもまた必然。

というわけで、

1回目ではまず、自分の幸せを願って、

「私が幸せでありますように」と念じたました。

2回目ではもっと具体的に、悩み、苦しみから開放されたいと切望して

「私の悩み苦しみがなくなりますように」と念じました。

3回目では自己実現にむけて

「私の願いがかなえられますように」と念じました。

さて、悩み苦しみから開放されて、願いをかなえ、

功成り名遂げて自己実現を果たしたとしても、

それだけでは安心できません。

形あるものはいつか壊れ、得たものはいつか失うのが定めです。

健康だった体もいつかは老い、財産もいつ失われるかわかりません

そこに執着すれば「失う不安」にとらわれてしまいます。

すると、一時感じていた「幸せ」はもろくも崩れ去ります。

私は、人は基本的にネガティブ思考するものだと思っています

そして、それは肉体を持って三次元世界に生きる以上、

克服することはできないとも思っています。

問題は不必要な時に行き過ぎたネガティブ思考に気づき、

そしてそれを自由自在に手放せればよいのだと思っています。

不動心とは、何があっても平常心を失わないことではなく、

いったんは失われた平常心を、

すぐに、自由自在に取り戻せることだと思っています。

その鍵になるのがマインドフルネス!

「今、ここ」の自分を客観的かつリアルタイムに観察できると、

自分がとらわれているネガティブ思考との間にすき間ができて、

一歩引いた視点から冷静に観ることができるのです。

すると、ネガティブ思考を手放すチャンスがきます。

それは自分がネガティブ思考を手放しているのか、

はたまた、ネガティブ思考が勝手に落ちてながれてしまうのか…

もしかしたらそれが「悟り」なのかもしれません。

実は違うかもしれません。

私は悟っていないので、わからないんです。

だから毎日、マインドフルネス瞑想をしています。

悟りたくて瞑想しています。

悟りたいという欲がなければ悟りの門には入れず

悟りたいという欲を持ったままでは悟りの道をすすめない

そのジレンマをかかえつつ、

今日もマインドフルネス瞑想をしています。

というわけで、今回のワークです。

——————————————-

背筋を伸ばして座ります。
まずは目をつぶり、軽く1回深呼吸
あとは自然な呼吸に戻し、
心が落ち着いたら、
目の前に自分がいるとイメージして、もしくは
自分をちょっと俯瞰したところからイメージします
(ななめ45度ぐらいから見下ろすイメージ)
その際、自分がゆるぎなく安心し、ほほえんだ様子を思い描きます。

そして、自分に向かってこう語りかけてください

「私が幸せでありますように」
「私の悩み苦しみがなくなりますように」
「私の願いがかなえられますように」
「私に悟りの光が与えられますように」

最後に3回繰り返します
「私が幸せでありますように」

そのまましばらく穏やかな呼吸を続けましょう。

—————————————-

続きはまたの機会に♪

えっ?悟りを開いたら終わりじゃないかって?

もうちょっと先があるんですよ。

ちなみに、これは私のオリジナルワークではありません (^^ゞ
慈悲の瞑想というヴィッパッサナの瞑想です。

 

慈悲の瞑想全文
http://xn--u9j9h1ao4on18y.com/?p=111

 

 

一人でも多くの方に見ていただけるよう
このバナーをクリックしてくだされ (^^;)ゞ
  ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
にほんブログ村